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円頓寺は 子育て、安産の鬼子母神様のお寺です。

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〒451-0042 名古屋市西区那古野1-11-7

長久山 円頓寺

円頓寺の縁起

長久山 円頓寺【えんどんじ】 略縁起
《松ヶ崎生師法縁》

創 建 承応3年(1654)5月12日

開 山 普敬院日言上人

当山は承応3年(1654)5月12日、照遠寺第三世 生過院日進上人の弟子 普敬院日言上人により、広井村八軒屋敷(現在地より300b程南、国際センター付近)に創建された。当初は開山上人の院号と同じく普敬院と称していたが、明暦2年(1656)2月に京都立本寺第20世 霊鷲院日審聖人より、十界大曼荼羅ご本尊を拝受し、その末寺となり、長久山円頓寺と寺号を改めた。

第2世 玄収院日道上人は初代尾張藩主徳川義直公の側室貞松院様のために安産祈願、その後の子育ての祈願を成就させ、名古屋城天守閣の棟木余材により作られた一木三体の鬼子母神像を拝受し、本住寺の再興、新寺妙住寺を建立した。当山には鬼子母神・十羅刹女の形態で安置されている。

第3世 一性院日良上人も加持祈祷に秀でており、尾張徳川家と縁を引き継ぎ、第2代藩主光友公より七面天女像、葵紋付の提灯四張、自筆の詩歌二幅の寄付を受けている。

第5世 通妙院日忍上人代には、本堂・庫裡・番神堂等が造営され、享保4年(1719)3月11日に永代聖人跡に指定された。しかしその直後、名古屋の大部分を焼き尽くした享保の大火(享保9年5月13日)により、堂宇・什宝等ことごとく消失した。

第6世 全行院日養上人は享保10年3月に広井村八軒屋敷から現在地を購入し移転。その地に本堂・庫裡・番神堂・七面仮堂を再建し、寛保3年(1743)には本堂・鎮守堂の修繕、庫蔵の再建が行われた。

第15世 唯徳院日呈上人は文政13年(1830)4月に宗祖第550遠忌の法要を執行するのに際し、記念事業として天保9年(1838)4月より4年を費やして本堂改築に着手し、同14年4月に入仏供養を行った。日呈上人は本遠寺住職を経て安政4年(1857)に本山立本寺へ出世した。

第16世 唯敬院日喜上人は書院・玄関を増築し、万巻陀羅尼をはじめ、年中行事とした。第17世 唯全院日賢上人代の明治21年3月に緋金襴跡九等に進み、第19世 唯妙院日良上人により明治33年3月鐘楼堂が新築された。

しかし第二次世界大戦の戦火に合い、昭和20年3月、山門を残して建物すべてを消失。第20世 唯精院日進上人が身を呈して、祖師像(中正院日護上人作)・鬼子母神十羅刹女像他什物を戦禍から守り難を逃れた。同28年には本堂・書院・庫裡・玄関の再建、納骨堂の新築、48年には鬼子母神堂再建を行った。

第21世 日学上人により立教開宗750年慶讃事業として平成5年より発願し、物資の乏しい戦後の建物を再建し、16年まで鉄筋作りの本堂、玄関、庫裡に建て替えられ、境内を含め寺観が一掃された。あわせて本堂のご本尊の仏像も同時期に新調され平成8年10月27日、立教開宗会とともに落慶法要が営まれた。


  
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